東灘名所めぐり ⑥〈魚崎と御影〉後編

〈前回の続き〉

浜街道の古い町並み跡から北上すると阪神御影駅の近くに出ますが、その高架下に不思議な一画があります。

 

 

中にはとても澄んだ泉が湧いており亀や魚なども生息(?)していて何とも言えない雰囲気を醸し出していますが、この沢の井こそ御影の名の起源になった泉だそうです。

 

 

調べたら御影は「みかげ」、「ごえい」、「ぎょえい」、「みえい」などと読み方があって「みかげ」は神霊/死んだ人の姿や肖像という意味で「ぎょえい」が天皇・三后・皇太子などの写真という意味でした。

石碑には神功皇后が自身の姿を泉に顔を映して化粧をしたと書かれているので本来は「ぎょえい」やったのが「みかげ」になったんでしょうか。

詳しくは調べていませんが、私自身は遠い昔の由来よりも石碑の後半部分に記された「嘉納をもって氏族の名とした」に興味が(^^)

 

 

この話は嘉納治五郎先生のご先祖の事でしょうね。

実は私、柔道整復師の資格を取る為に40歳を過ぎてから専門学校に入学したんです。

それまでは学生時代から音楽をやってて卒業後も音楽活動をしていたので柔道どころか運動には縁がなかったんですが、専門学校では柔道の授業が必修で実技と理論があり、嘉納治五郎先生の事を少し習ったんです。

柔道の授業、今思えば良い思い出ですが当時はついていくのが大変で肩鎖関節脱臼、膝関節内側側副靭帯損傷、足関節捻挫などなど、しょっちゅう怪我してました。。。

まぁ怪我と治療を実体験できたと前向きに考えていますが(^^)

ところで嘉納家は柔道というイメージが強かったんですが魚崎郷のお酒の方が本家本元なんですよね。

その辺の歴史は省きますが、個人的には柔道より日本酒の方が好きです(^^)

 

余談はさておき

北口にもモニュメントがありますが沢の井って聞くとやっぱり日本酒を連想しますね(^^)

 

 

ここから再び石屋川に向かって西国細街道を進むと

 

 

一里塚橋があります

 

 

 

 

さらに西へ進むと西国橋があるので渡り終えて撮影

 

 

今回はここで終了ですが、さらに西へ進むと前回登場した道標に

 

 

そしてその先は九州に続くんですね(^^)

 

 

〈番外編〉

名所めぐりには載っていませんが御影つながりという事で訪ねました。

 

 

参道ですが分かります❓

答えは

 

 

地元の方はよくご存じですよね。

ちなみここは御影群家です(^^)