神戸西国街道まわり道 ⑨〈源平と行平の舞台〉
このシリーズも残り少なくなりましたが、今回は
「源平と行平の舞台」
タイトルを見ただけでは源平と行平の兄弟みたいですね(^^)
源平は分かりますが行平とは?
調べたら在原行平(ありわらのゆきひら)なる人物で平安時代初期から前期にかけての公卿・歌人。平城天皇の第一皇子である弾正尹・阿保親王の次男。官位は正三位・中納言。在中納言・在民部卿とも呼ばれた。小倉百人一首では中納言行平らしいです。
なんか難しいですね・・・
それはそうと
前回の證誠神社から妙法寺川沿いの道を下り、2号線を少し西へ行った所に「若宮神社」
その後は須磨海岸に出て景色を楽しみながら散策
晴れてて気持ちよく歩く事が出来ました
しばらく歩くと赤い灯台が見えて来ます
「旧和田岬灯台」
以前に訪れた和田岬の砲台横に明治4年に設置された灯台
当時は木製でしたが明治17年に現在の鉄骨に建て替えられて昭和38年に廃灯
その後に須磨に移築・保存され平成10年に国の登録有形文化財に
そこから北上していくと私の姓(夫)と同じ屋号のイタリアンを発見(^^)
入りたい気持ちを抑えて2号線とJRを越えて北西に行くと「綱敷天満宮」
東灘区にも同じ綱敷天満宮がありましたね
海辺らしいこんな菅公も(^^)
ここでも神の使者である「使いの牛」
そして境内で見かけたので思わず拝んでいた夫婦円満の木
ひと通り見終わって外へ出ると綱敷天満宮のすぐ隣に「諏訪神社」
諸説ある須磨の地名の由来でこの諏訪(スワ)が訛ってスマになったと言う説もあるそうです
長野の諏訪神社と何か関係があるんでしょうか
そこから北上して山陽電車の須磨寺駅
ここに源平合戦で捕らえられた平重衡が腰をおろして無念の涙を流したという伝説が残る「腰掛の松」があった「平重衡とらわれの松跡」
更に北へ「須磨霊泉」
阪神・淡路大震災の時には貴重な水源となり、多くの被災者を救ったところから地元では「命の水」とも呼ばれているそうです
飲んでみたら良かったと今になって思いますね
霊泉から参道を進んで行くと赤い欄干と立派な門構えが見えて来ます
福祥寺 通称「須磨寺」
入口の仁王門
平敦盛と熊谷直実
唐門
本堂
源義経が腰掛けて平敦盛の首実検したと伝わる源義経卿腰掛け松
他にも見たかったんですが、あまりにも広いので時間の都合上省略して須磨寺を後に
須磨寺から南に向かって歩いて行くと源氏寺と書かれた石碑が立っています
石碑の裏に源氏物語の須磨の巻きの一説が描かれていますが、行った時は気づきませんでした。。。
その奥に源氏物語の主人公、光源氏の住居跡と伝えられる「現光寺」
ここに須磨の関があった様で、お寺の西には須磨の関の守護神を祀る「関守稲荷神社」があります
説明板を読むと須磨の関がどこにあったか諸説あるんですね
再び歩を進めて南へ「琵琶塚」と「村上帝社」
琵琶塚は獅子丸という琵琶の名器を埋めた場所で前方後円墳だったそうですが、現在は一部だけ面影を残しています
両者は本来は同じ敷地やったそうですが、山陽電鉄の開通で分断されたとか
村上帝社を出て南、2号線に立つ道標
ここから次回「国境」に続きます(^^)