神戸西国街道まわり道 ⑩〈国境(くにざかい)〉
残り3回となった今回は摂津と播磨の境
「国境」
摂津と言えば大阪のイメージですが意外な事にこの辺りまで摂津の国やったんですね
前回の関守稲荷神社の道標から2号線を西へ進み進路を北に変えて山陽電鉄を越えたあたりに「潮音寺(ちょうおんじ)」
潮の音の寺って良いですね(^^)
一の谷不動尊と言われてて不動明王が祀られているんですが、行った時には見れなかったのでネットから拝借
お寺の公式ウェブサイトを見ると潮音寺一帯は「源平一の谷合戦」の古戦場のあった場所で源平合戦無名戦士の菩提を弔い祀る為に昭和47年に建立されたと書かれています
一の谷の合戦って鎌倉幕府の成立よりも前(調べたら1184年)でお寺の建立が1972年
かなりの時差で比較的新しいお寺なんですね(^^)
再び2号線に出て西へ行くと源平史蹟「戦の浜碑」
やっぱり一の谷合戦でしょうか
碑から再び山陽電鉄を越えて山を登って行くと「安徳帝内裏跡伝説地」
安徳帝が源氏に追われた平氏と共に西へ逃げる時に内裏を置いたとか
最後は壇ノ浦で平氏と運命を共にするんですよね。。。
内裏跡伝説地を出て街道へ
登る時は急こう配の階段で必死やったので気づかなかったんですが素晴らしい眺望!!
しばし景色を眺めてから山を下り戦の浜碑から公園を西へ進むと「みどりの塔」
公園の西端に「敦盛塚」
ここから山と海が迫り狭くなった沿道には建物が無く山陽電鉄と2号線、JRが平行します
そして垂水区に入るあたりが播磨と摂津の境で
資料の地図では山側の白いコンクリートと
海側のこのあたりに沿って境川が流れていますが
ネットで上空からの画像を見た限りでは今は水の流れが無い様です
この辺りを流れていたと思われる境川は摂津と播磨の単なる国境ではなく、当時の日本の中心だった畿内(首都圏)と畿外との境という重要な意味もあったようです
須磨の地名は、この畿内の隅(スミ)が訛ってスマになり「須磨」の字が定着したともいわれていますが、前回登場の諏訪神社のスワが訛ってスマの地名がついたという説もあり、須磨の地名の由来は他にもありそうですね
さて、垂水に入っても西国街道をひたすら西へ行くと菅公ゆかりの「菅公橋」が現れます
橋の手前から北へ坂道を上って行った所に「西向地蔵」
西向きに祀った事から西向き地蔵として親しまれているそうです
そう言えば三宮には北向地蔵がありましたね(^^)
そして駅を越えて西へ行くと「安養寺」
その近くには「塩屋若宮神社」
で、山陽塩屋駅に戻った時に見かけた道標
地図を見たら結構遠いので迷ったんですが行ってみる事に
進んで行くと岐路毎に道標が立ってて
道標を頼りに歩いて行くと
六甲縦走路の西の起点がありました
ここからさらに急こう配の山道を登って行くと「山王神社」
更に奥に進むと「毘沙門天」
立派な建物があるかと思ったんですが小さな民家みたいな建物で拍子抜けしました。。。
旧塩屋村の鬼門にあたる場所だそうです
摂津と播磨の「国境」の行程はここで終わり、次回は播磨の国 垂水へと続きます^^)