魚崎 <続き>
魚崎の歴史を調べてみました。
魚崎はその昔、海に突き出た地形で五百崎(イオザキ)と呼ばれた岬だったそうです。
そのイオザキからウオザキに変わったと云われていますが、整骨院の西を流れる住吉川に掛かる橋に五百崎の名が残っています。
この五百崎橋の横に石碑が建っています。
長く続いた旧住吉村と旧魚崎村との境界争いが解決したのを機に明治14年に建立されたと書かれていますが、現在もこの石碑を境に北が住吉東町、南が魚崎西町となっています。
この村境碑から五百崎橋を渡って東へ歩くと魚崎小学校が見えて来ますが、校舎の塔に今も旧魚崎町の町章が飾られています。
百の中に五の字が描かれています。
そう言えば魚崎八幡宮の隣り、五百地公園にも「五百」の文字が残っていますね。
なぜ五百の文字が旧魚崎村の町章や地名にも残っているのか。
調べてみたら岬に五百艘の船が連なった事に由来するそうですが、神話の話なので確実ではない様です。
月日は流れても町の中には名残がありますね。
歴史って面白い。