東灘名所めぐり ⑨〈柿の木地蔵と白鶴美術館〉

白鶴美術館は住吉川沿いに建っているので清流の道を河口から遡って行くんですが、前回の「清流の道と文豪谷崎」と次回予定の「御影石と石切場」も同じ経路なので計3回も清流の道を通る事になりました(^^;)

一度に全て行ければ良かったんですがそうもいかず、今回も清流の道を遡り新落合橋付近の出入り口から道路へ出て白鶴美術館まで坂道を上がって行きます。

 

 

清流の道を歩いている時は分からなかったんですが上の道路の方が勾配がキツイですね。

それでも「灘の一つ火」の保久良山よりマシかなと思いながら進むと途中でインド総領事公邸を見つけました。

思わず写真を撮りましたが本題とは関係ないので素通り

 

 

遠くからでも見えますが緑の瓦屋根が白鶴美術館です。

 

 

まずは本館の正面玄関

あいにく閉まっていました。

 

 

玄関前に建つ道標

 

 

国鉄!!

たしか国鉄が民営化されたのが昭和の終わりごろで名所めぐりのミニ落語本が作られたのも同じ昭和の終わりごろ

国鉄とか昭和とか懐かしいって言うか歴史を感じますね(^^)

 

本館の次に訪れたのは別館

とは言ってもすぐ前に建っていますが

 

 

美術館の本館も別館も中へは入らず外から眺めるだけなんで白鶴美術館は早々に終わってしまいました(^^;)

なので次に柿の木地蔵を目指しますが、その前にイラストに描かれた若宮八幡宮に寄り道です。

まずは参道から入って

 

 

本殿

やっぱりお稲荷さんがありますね。

 

 

ここで休憩してから出発したんですが、イラストに描かれたゴルフ練習場も無くなっていたので迷いましたね。

そして探し当てた柿の木地蔵、至って普通。。。

 

 

ちなみにお地蔵さんの横に立っているのが柿の木なので柿の木地蔵と呼ばれているんですが、なんでこのお地蔵さんが名所なのかと思うんですよ。

落語本によると大正10年頃の話で牛車を引いていた人がお地蔵さんに手綱を引っかけて一服している時に牛が暴れだしてお地蔵さんをひっくり返してしまったそうです。

その時に首が折れてしまったので地元の人たちがあとになって再建したんですが、その為に台座よりお地蔵さんの方が新しいとの事なんですね。

改めて見ると確かに台座よりお地蔵さんの色が新しく見えますが、前のお花を飾る台が一番新しいですね(^^)

 

 

台座には「嘉永六年丑正月廿二日」と刻まれているので調べたら嘉永6年は1853年。

大正10年は1921年なので時差は約70年。

それにしても明治以降近代化が進んだとはいえ大正10年頃はまだ信心深い時代やと思うんですが、お地蔵さんに手綱を引っかけて休憩するなんて罰当たりな事をしたもんですねぇ。

今でも私はお地蔵さんに何かしようとは思いませんが(^^)

それはそうと東灘区内に有る多数のお地蔵さんの中で柿の木地蔵が名所に選ばれたのは台座とお地蔵さんの作られた年代が違うという理由だけなのかが気になるところ・・・

さて、お地蔵さんを拝んだので早々と帰りますが途中で水車を見つけました。

 

 

JR 住吉駅にも水車のモニュメントがありますが住吉川流域には水車が多かったみたいですね。