まち歩き・知っとお~東灘〈花と文化・本山西コース〉②

地図は〈東灘まち歩きボランティアガイドの会〉のサイトより

⑨かつての二楽荘

二楽荘が何か分からなかったのでネットで検索しましたが長くなるので概要は省きます。

地図で見る限り保久良神社よりも北に位置しているので行くかどうか正直迷ったんですが、1932年に焼失して現在跡地は某宗教団体の管理下にあり、教団関係者以外の立ち入りは厳しく制限されているとの事なので行かない口実が出来て良かったと思いました(^^;)

 

 

在りし日の写真をネットから拝借ですが、後で行く園芸店の二楽園と関係があるようです。

 

⑩旧ヘルマン屋敷跡

灘の酒専用水道の碑から住吉川沿いの道を北上

またまた坂道。。。

こちらも屋敷跡なので在りし日の写真をネットから拝借

 

 

今は住宅街になっていてヘルマンの名前が電柱にも

 

 

自治会の名称にも

 

 

地域コミュニティバスの「ヘルマンバス」も走っているそうですが今回は見かけませんでした。

 

 

公園の名称はヘルマン公園ではないんですね(^^)

 

 

ここでちょっと休憩して次へ向かいます。

 

⑪大日女尊神社(おおひるめのみこと)

 

住吉川沿いを南下して少し東へ

深江にある大日霊女(おおひるめ)神社と祭神が同じだそうで名称が似ていますね。

鳥居前の道路にだんじりの車輪の跡だと思われる線がありました。

 

 

鳥居

 

 

本殿

 

 

この神社は野寄地区の氏神ですが、野寄と言えば何年か前に発行された野寄村誌にこのブログで書いた〈御影石と石切場〉の事が掲載されました。

 

 

拙い文章で恥ずかしい限りですが、ブログを見ている方もいらっしゃるんやなぁと当時は思いました。

 

⑫有備無患の碑(野寄公園)

 

阪急の線路を超えて南へ

こちらも1938年の阪神大水害に関する石碑です。

 

 

今回のまち歩きで水害に関する石碑を多く見かけました。

神戸は阪神淡路大震災もあったので災害の備えは大切だと痛感します。

 

⑬旧久原邸跡

 

日立製作所などの基になる久原財閥の総帥、久原房之助の大邸宅があった場所で現在はマンションのオーキッドコートが建っています。

知っているように書いていますが冊子の受け売りなので悪しからず。。。

 

 

現在のマンションの敷地は1万1千坪ですが久原邸の敷地はJR神戸線から山手幹線までの3万坪で実に甲子園球場の2,5倍!!

マンションのすぐ前を流れる住吉川に架かる橋は「久原橋」で久原の名前が残っています。

馬車でこの橋を通って住吉駅まで行ったそうですが、3万坪もあれば敷地内の移動も当然馬車だったんでしょうね。

 

 

当時の写真をネットから

 

 

手前に見える橋が久原橋。

マンションの南、国道2号線側の出入り口は「久原門」と呼ばれていて、ここにも久原の名前が残っています。

よく通る道ですが初めて知りました。

 

 

今回「まち歩き・知っとお~東灘」で久原財閥を初めて知りましたが、歩くだけでなく神戸の歴史も学べてとても良い冊子やと思います。

それにしても日立製作所と日産の基が同じ久原財閥だとは知りませんでした(^^)

 

〈続く〉